The Valentine Capriccio 前編


「吉継、頼む」

そう云った三成の眼差しは、真剣そのものだった。
だから、俺は「イヤだ」と断ることもできずに、目の前の作業をせざる得ない。
折角仕入れたベルギー製の高級チョコも、契約牧場の低温殺菌ミルクから作り上げた特濃生クリームも、無農薬の大粒で甘味たっぷりの真っ赤なイチゴも、あの厳つい歩くセクハラ男の胃袋に収まるのかと思うと腹立たしいことこの上ない。

しかし、三成のあの「必殺お願いウルルン上目遣い」の前には、いかな鉄壁の決意もあっさりさっくり打破されてしまう。
そんなこんなで、俺は三成の「お願い」のため、こうして業務終了後の特別無料残業を間借りした勤め先のキッチンで勤しむハメとなったのだ。



季節は、聖バレンタイン。
この聖なる日に、乙女たちの願いを込めて送られる甘い甘いチョコレート。お菓子業界の策謀に踊らされていると知りつつも、恋の願いを茶色のお菓子に詰め込む乙女たち。
だが、その願いを託すキーアイテムを入手すべく繰り広げられる、壮絶な乙女たちの戦場に飛び込む勇気は、流石の三成にもなかったようだ。切羽詰まって頼ってきたのが、俺のところ。懐に飛び込んだ窮鳥の如くに「頼む」と涙目で訴えられてしまった。

ぶっきらぼうに見えてその実、純情一直線。
人付き合いの不得手な彼が、生まれた初めて叶った甘い初恋。それを大事にしたいという、純な彼の気持ちを守ってやりたい。
そんな、決定的に彼に甘い自分の性分を恨めしく思いながら、作業は粛々と進んでいく。



「吉継兄さん。も少し穏やかな顔で作業できひんの?」

そう関西弁で云ったのは、小西行長。俺の義弟のようなもの。それは、三成も同じだ。他にも加藤清正や福島正則と合計4人の義弟がいる。
なにも某中国の英雄よろしく、義兄弟の契りを交わしたわけではない。
それぞれ不遇な境遇から育て親となってくれた羽柴秀吉夫婦の元で、共に育ったという関係である。その縁で、とりあえず義弟と呼んでいるのだ。

確か、こいつの親は、事業に失敗し破産。だが、再起図るため海外移住(というより海外逃亡に近いらしい)し、ひとり日本に残った(というより置いて行かれた)行長を秀吉様夫婦が面倒を見たとか見ないとか。
現在、小西パパは海外の秘境という秘境を渡り歩き、怪しげな漢方薬の販売で成功を収めたという話だ。行長曰く「流離いのトレジャーハンター」。そのトレジャーハンターは、薬物禁止なんたらという法律に引っかかって、再度逃亡中とのこと。
ちなみに俺の事情については、また今度。影のある男には秘密の一つや二つ必要さッ!
まぁ、そう云う訳で、小西パパは賑やかな人だ。当然、息子の行長も賑やかしいことこの上ない。が、時にその賑やかさが鬱陶しくなる。今が将にそんな時のど真ん中。


     思い出しただけでも鬱陶しくなってきた……。鬱陶しいから、目の前の片割れだけでも、特濃生クリームで顔を塗りつぶして窒息させてやろうか……


俺は腹の中で深い毒を吐く。しかし、その毒を自分の腹の中にだけ納めておけるほど、今日の俺は大人じゃない。

「あぁん?」

般若――――
今の俺の顔を表現するならばこれしかないだろう。頂点に達しかけていた最悪の気分を一押しされて、俺は泡立て器のスイッチを止めて、行長をギロリと睨む。

三成と行長。
同じ義弟とはいえ、俺の中の取り扱いランキングには大きな差がある。これがその差だ。

「じゃ、なにか? お前は、この上ないイライラを我慢してストレスで俺の繊細な胃に穴を開けて悶え苦しめと?」

ちなみに同じ台詞を三成が云った場合、俺は不機嫌そうな顔から爽やかな笑顔へと転身を遂げただろう。可愛い三成のためなら、普段、人前で見せる「穏やか」な風貌の上に、慈愛の羽を思いっ切り広げてみせよう。
行長曰く、「天使の顔と悪魔の顔を持つ男」

「な、何もそこまで云うてないやんッ!!」

云うなり、行長は脱兎の如くに俺の射程範囲外へと逃げ出す。
チッ、勘のいいヤツめ……

「そない云うたかて、スイートなラブアイテムこさえながら、エラい物騒な般若面してはるンやもん。誰かて怖いわッ!」
「フフフ、問題はない。般若面だろうが、天使面だろうが、俺が作るスイーツの味に変わりはない。というか、変える訳にはいかない。どうせ、セクハラ男だけじゃなく一緒に三成も、これ食べるんだろうから。あぁッ! そう思うと益々ムカツクッ!!」

俺はそう云いながら、ストップしていた作業を進める。
遠い眼差しを投げかける行長の表情から推察するに、般若面から修羅面にレベルアップしたのかもしれない。まぁいい。俺のこの面を見ているのは現状で行長だけ。ヤツの口を封じればすむ話だ。



「ハイホー、ハイホー、大筒が嫌い〜♪」
「けったいな歌やな」

そう呆れ返ったように呟く行長。
そんな行長をスルーして、ふと考え付いたことを口走ってみる。

「なぁ、行長……。チョコレートケーキにアーモンドって合うと思うか?」
「さぁ……悪くはないんとちゃうか?」
「そうか……アーモンドを砂糖でコーティングして飾りに……いや、スポンジの中にアーモンドを磨り潰したものを混ぜ込むとか……」
「妙にアーモンドにこだわるんやな」
「だって、アーモンド臭が……」
「アーモンド臭って、せ、青酸カリ!? って完全犯罪計画中ッ!!!?」
「お菓子なら混ぜても気付かれん」
「んな訳あるかッ! だいたい、三成もそれ食べるンとちゃうんか!?」
「大筒用にもう一個作るとか」
「なら、三成用にさらにもう一個つくらなアカンやないか。つか、あんた、目が笑ってへんでぇッ!!」
「チッ……」

心底残念そうな顔をする俺を行長は胡乱げな目で見遣る。

「そないにイヤやったら、バレンタインのケーキなんて引き受けなければいいやん」
「俺が三成のお願いを断れると思っているのか?」
「俺のお願いだったら内容も聞かずに断るのになぁ……」
「最終的には聞いてやるだろうが」
「散々、人を土下座させておいてかいッ!」
「なにをいう。人にはそれぞれ分相応というものがある。お前に土下座は似合うが、三成には似合わない。そういうことだ」

ビシッと指を突きつけて声も高らかにキッパリと宣言。行長の人権や人格など、俺にとっては些末なことだ。
そう宣告された側は、眉を寄せて妙な顔をする。さしずめ ( ゜Д゜) といった感じだ。

「なんや、ようわからんが……。少なくとも土下座が似合うと云われて嬉しい人間はおらんで。まぁ、いるかもしれんが、云われてムッと来た俺はまだ人間失格ではないな。うん、俺まだ大丈夫や」

なにがどう大丈夫なのかは知らんが、ひとりで喋りひとりで納得する行長。相変わらず阿保だな。
などと、行長と下らん会話を交わしているうちに、作業は滞りなく完了をした。



仕上がったのは、一個の芸術品。
予想通りの出来映えに、思わず自信ありげに口が緩む。

「うぉッ! 吉継兄さん、これスゲェッ!! 口と性格は悪いけど、パティシエとしては一流やな」

いつの間にか、俺の横に移動をした行長が完成をした「大谷吉継 特製チョコレートケーキ バレンタイン仕様」に歓声を上げる。

「バカを云え。この程度で誇れる奴らの気がしれんな」
「兄さん。その台詞……」
「まぁ、この程度、実際この世界には掃いて捨てるほどいるさ。俺もまだまだだよ。さて、三成に渡す迄、これは冷蔵庫に……」

正直、自分の腕にはそこそこの自信はあるし、才能も十二分にある。けど、三成や行長、そして俺の周りの人々が、目を輝かせて褒めてくれる度にもっとすごいものを見せたくなる。だから、俺はきっともっと上を目指せるはずだ。
こんなこと、この行長の阿保に云うと、つけ上がるから云えんがね。



「で……行長君。誰の口と性格が悪いと?」

大事な約束の品を冷蔵庫に仕舞うと、俺は優雅な笑みを浮かべて振り返る。

「え……イヤやなぁ。冗談やね。冗談……」
「ほっほう。君は面白い冗談が好きだねぇ。もう一度聞きたいな、ボク♪」
「えッ!! 吉継兄さんッ!!! か、堪忍ッ!!! ……………って!?」

案の定、賑やかな口を大きく開けて喚く行長の大口目掛けて、俺は茶色の固まりを放り込む。

「ウマいだろ? 褒めてくれた礼だ。ありがたく受け取れ」
「兄さん……嬉しいけど…こんなけ?」
「調子に乗るな。もっと欲しいならそれなりの誠意を見せろ」
「明日、バレンタインなんやけど」

三成を真似してか、上目遣いのお強請りポーズの行長。ど阿呆が、お前がそんなお強請りポーズをしても微塵も可愛くはないわ。

「男にチョコをやる趣味はない。島国日本では、バレンタインは乙女の祭りだ。俺は売る方であり貰う方」

「ケチ〜」と口を尖らせる行長に俺はニヤリと口を上げて答える。

「だから、誠意を見せろといっている」






「す、すごいぞ、吉継ッ!!」
「お気に召したかな? 三成」
「想像以上だ。やっぱりお前は天才だな」

ここは、いつも待ち合わせに使う大学前の喫茶店。日溜まりが気持ちいい指定席で、最近はまりの推理小説に目を通していた三成に声をかけたのが五分程前。
俺の自信作を目の前に、子供のような歓声を上げる三成。綺麗な作りの顔に俺の好きな嬉し顔を浮かべる。予想通りの三成の反応に、嬉しいのか物憂いのか……、微妙な思いが胸襟を駆ける。

「きっと、左近も喜ぶ」

トドメの一言。わかってはいたが、矢張り目の前で、この上もなく幸せそうな顔でそんな台詞を云われると、フツフツと沸き上がる呪詛の念を押さえることはできない。


     己、島左近ッ! 俺の可愛い三成とイチャラブしやがってッ!!


この心境は、愛娘や妹を彼氏に取られた父親や兄のそれと同じ。しかし、下手にちょっかいを出そうものなら鬱陶しがられた上、「お父さん(お兄ちゃん)、嫌いッ!」という状況になりかねない。それでなくても、今の三成とあのセクハラ男は、所謂「ハニームーン」。


     ククク、今は我慢しよう島左近。その内やってくる倦怠期には、目にものを見せてくれるわッ!!


長期戦になることは既に覚悟済み。ならば、ちょっかいを出せる時期になるまで、ひたすら我慢の子。どんな、蜜月カプーにも必ず倦怠期はやってくる。
だがしかし、ただ指を加えて時機到来を待つなど、そんな過剰なストレスに創る菓子の如くに繊細な俺の胃が堪えられるはずもない。
となると、鬱陶しがられないようにちょっかいを出せばいい。用は三成に嫌われなければいいのだ。



「ところで、吉継は仕事は良いのか。今日は忙しいのでは?」
「あぁ、その点は心配ないよ。お前に約束の品を届けに行くと云ったら、行長が俺の代わりをしてくれると……」

バレンタイン当日。
チョコレートを扱う店はどこも商売繁盛のかき入れ時。当然、俺の勤め先のケーキ店も同じく猫の手も借りたい忙しさ。だが、売り物のケーキやチョコレート菓子作りは完了済み。あとは、作ったものを店頭で販売するだけ。ならば、行長でも十二分にこなせるはず。というか、「こなせ」と命令をして俺は仕事を行長に押し付けてきた。

「行長が?」
「売るだけだからあいつでも手は足りる」
「そうか……。吉継と行長は仲が良いのだな」
「お前とも仲が良いじゃないか。俺にとってお前も行長も可愛い義弟だよ」

うん。ふたりとも実に可愛い。その可愛いの方向性はだいぶ違うが、嘘は云っていない。
そう云って目を細くする俺に三成も嬉しそうに目元を綻ばす。

「ありがとう、吉継。なんてお礼を云ったらいいのか見当もつかない」
「そうだな……なら…」

この三成の言葉も予想通り。俺は予め用意をしていたシナリオを口にする。

「この後、俺の家で食事でもどうだ? いろいろ見せたいものもあるし……」
「見せたいもの?」
「そうそう。ほら、俺はもうじき……」
「あッ! そうか。もうすぐだな、吉継の……」
「そういうことだ。今、最後の調整をしているんだ。そこで、お前の意見も聞きたいと思ってな」

三成が絶対に気にするであろう「ある話題」を仄めかす。案の定、少し形の良い眉を寄せて三成は思案する。
三成がすぐに返答できない理由の見当はついている。あのセクハラ大筒男は、こういう季節イベントを外すはずがない。どうせ、「今晩、とっておきのワインでも開けましょうかね」などと云って、『ロマンテックで甘い夜』という演出を計画しているに違いない。
フッ! そうは問屋が卸すかッ!!

「……わかった。行こう」

しばしの思案の後、三成は俺の誘いに応じてくれる。
長い時間をかけて築いた絆の勝利。その点において、俺は島左近よりも絶対的に有利な立場にある。
どうやら、今夜の勝負は俺の勝ちのようだな。





2007/02/14